Kyrie eleison | 憐れみの賛歌 | |
Gloria in excelsis | 栄光の賛歌 | |
Credo | 信仰宣言 | |
Sanctus | 感謝の賛歌 | |
Agnus Dei | 平和の賛歌 |
皆川達夫 : 世界平和記念聖堂パイプオルガン第289回定期演奏会 (1995年11月5日)
曲目解説より
この曲でとくに注目される事実は、ミサの五つの楽章が一つの共通した音素材によって作曲され、全体がまとまった有機体として構成されているという点です。このミサ曲では共通の音素材として中世のグレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ(舌よ、ほめたたえよ)」が利用されています。キリストの聖体をほめたたえたこの聖歌の旋律を共通素材に利用している故に、「ミサ・パンジェ・リングァ」という曲名があるということは言うまでもないでしょう。
楽譜1の聖歌の旋律をご覧ください。
この賛歌(イムヌス)はごく短く、同一の旋律を何節か繰り返してゆく有節歌曲の形をとり、その各節は楽譜1のしめすように六つの楽句から構成されています。念のために楽譜にaからfまでの記号を付しておきました。とくに最初の第一句(aの部分)の半音上がって、次に3度下がる動きが特徴的です。この旋律をジョスカンは巧みに活用してゆきます。
ミサ曲の第一楽章「キリエ(あわれみの賛歌)」の冒頭の動きを聴いてください。テノールの歌いだすメロディが楽譜2です。
まぎれもなく楽譜1の第一句(aの部分)の動きを聴きとることが出来るではありませんか。このテノールの動きをバスが5度下で模倣し、さらにソプラノ、アルトと次々に模倣しあって、最初の「第一キリエ」が構成されてゆきます。その結びの部分には、さらに聖歌の第二句(bの部分)が顔をだしていることも聴きのがせません。
つづいて、「キリエ」の第二楽節の「クリステ(キリストよ、あわれみたまえ)」に入ると、バス、アルト、テノール、ソプラノの順序で模倣をおこないますが、その動きは楽譜3のように、明らかに聖歌の第三句(cの部分)によっています。
さらにこの「クリステ」の後半では、聖歌の第四句(dの部分)が各声部のあいだで模倣されています。
つづく第三楽節の「第二キリエ」では、楽譜4の動きによって、ソプラノ、アルト、テノール、バスの順で模倣を交してゆきますが、これは間違えようなく楽譜1の聖歌の第五句(eの部分)から派生したものです。
さらにこの部分の後半には聖歌の第六句(fの部分)が現れ、結局、第一楽章「キリエ」全体が、楽譜1のグレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ」の六つの楽句をバランスよく各部分に配分して、冴えたポリフォニーの模倣によって構成されていることが分かります。
以下、第二楽章の「グローリア(栄光の賛歌)」、第三楽章の「クレド(信仰宣言)」、第四楽章の「サンクトゥス(感謝の賛歌)」、第五楽章の「アニュス・デイ(平和の賛歌)」と、すべてがこの調子でグレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ」を素材に構成されてゆきます。
念のため、第四楽章の「サンクトゥス(感謝の賛歌)」の冒頭の動きを聴いてみましょう。楽譜5のように、やはり聖歌の第一句(aの部分)の、半音上がって3度下がる動きが核になっています。
ジョスカン・デ・プレ作曲の「ミサ・パンジェ・リングァ」は、このようにグレゴリオ聖歌「パンジェ・リングァ」を素材に、驚くべきバランスと均整の上に論理的に構成されていることが納得できました。まさにルネサンスの美学を音楽の上に具現した、畏敬に値する作品です。わたくしはジョスカンの同時代者のレオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1519)の絵画作品「受胎告知」の前に立つと、ジョスカンのこの曲がどこからか聞こえてきてなりません。両者は共通の古典美の美学によって作り上げられた、典型的なルネサンス芸術作品なのです。
ここで作曲者ジョスカン・デ・プレについて多くを語る必要はないでしょう。1440年ごろにフランドル――今日の北フランスないし南ベルギーの地域に生まれ、若くからイタリアで活躍してこの地のルネサンスの美学を身につけました。資料的な確証はありませんが、両者の活躍の地域と年代から推定してレオナルド・ダ・ヴィンチとも親交をもち、相互に影響しあったことと思われます。晩年は故郷フランドルに帰って後進を養成し、その後のフランドル楽派―ヤコブ・アルカデルト(1505ごろ-1568)、オルランドゥス・ラッスス(1532-1594)、フィリップ・デ・モンテ(1521-1603)らの活躍の基盤を備え、1521年に北フランスのコンデの町で世を去りました。
ジョスカンの音楽作品、特にその「ミサ・パンジェ・リングァ」を歌いこむことによって、私たちは合唱演奏法の基本を学びとることが出来ます。ルネサンス期こそ合唱の語法が徹底して開拓された時代で、一切の器楽的な要素が含まれないだけに純粋な合唱の論理に触れることが出来るのです。
私の個人的な体験ですが、私がこのジョスカン・デ・プレ作曲「ミサ・パンジェ・リングァ」に初めて触れたのは今からほぼ50年ほども前の、大学生時代のことです。音楽史の研究に志を立ててみたものの、古い時代の音楽にかんして文献も楽譜もない時代に、偶然に手に入れたドイツ語の音楽史書の付録にジョスカンの「ミサ・パンジェ・リングァ」の楽譜が見つかりました。貪るようにして書き写し、何度も何度も自分で歌ってみて、しかしその全体像をつかむことが出来ない。レコードもラジオ放送も何もなく、仕方ないので自分で合唱団を組織して自分の耳で確かめるほかはないというわけで、同志を集めて中世音楽合唱団を創設したのです。
今から43年前の1952年(昭和27年)の話です。要は「ミサ・パンジェ・リングァ」を歌うために中世音楽合唱団を作ったというわけです。幸いメンバーに恵まれ、互いに「ミサ・パンジェ・リングァ」を歌いつつ、もろもろの試行錯誤を重ねながらルネサンス・ポリフォニー合唱曲の演奏法を模索してゆきました。この曲を何回も何回も繰り返し歌ってゆくうちに、どう歌うべきか、どう演奏すべきかを、楽曲そのものがおのずから教えてくれました。いうならば私の音楽史研究の原点であり、また中世音楽合唱団の出発点となった音楽作品でありまして、それ故に中世音楽合唱団は5年目ごとの演奏会に必ず「ミサ・パンジェ・リングァ」を歌って、初心に帰るよう心がけているのです。