Pierre Ronsard : “Les Amours” ピエール・ロンサール『恋愛詩集』より 猪原龍吉 : 皆川達夫とルネサンスをうたう仲間たち 1995.11.4 曲目解説より シャンソンの歴史は、11世紀南仏で活躍したトルバドールと呼ばれる吟遊詩人達の作品に始まる。南仏の貴族達によりオック語 (南フランス語) で書かれ、彼等によって宮廷で歌われた愛と戦いのシャンソンは、後に北フランスのトルベール達に引きつがれ、14世紀ギヨーム・ド・マショーによってその頂点を極める。この吟遊詩人達に共通することは、彼等が詩人であり、同時に作曲家であり、そして演奏家であったことである。彼等にとっては、詩は歌われてはじめて詩であったのである。
マショーによってポリフォニー化されたシャンソンはその後デュファイ、バンショワ、オケゲム達に引きつがれる。この頃から詩人と作曲家の分業が進むなかで、ロンドー、ヴィルレ、バラードなどの定型詩への傾斜は、時には言葉遊び的な性格が強まり、シャンソンへの関心は作曲家達の作曲技法に重点が移り、詩人の名前は陰にかくれてしまう。
16世紀、フランソワ一世の宮廷を中心としたフランス語の擁護と高揚の運動により、マロ達によるフランス近代詩が創始されるが、ジャヌカン、ラッソ、セルトン等の作曲家たちがそれに競ってポリフォニーの曲を作曲することにより、詩と音楽の新たな関係が始まる。それは1565年バイフが設立した『詩と音楽のアカデミー』により頂点に達するが、それを境にポリフォニー・シャンソンはエール・ド・クールに代表される単声歌曲にその座を譲ってしまうことになる。まさにこの16世紀は、合唱芸術の歴史の中で、偉大な財産を我々に残してくれた記念すべき100年であった。
古くさい定型詩からの脱却と、古代詩を模範とした新しいフランス詩の創始をめざして結成されたプレイヤード派を代表する詩人、ピエール・ロンサール (1524〜1585) は、フランソワ一世からシャルル九世までの宮廷に仕え、膨大な詩を残している。その内200以上の詩に30人以上の同時代の作曲家達が曲をつけ、その数は600曲以上に及ぶといわれる。又、オネガー、ミヨー、プーランクなど現代の作曲家もロンサールの詩による歌曲を作曲しており、音楽に与えた影響は計り知れないものがある。
プラトニックな愛を田園詩に託して歌った『恋愛詩集』のシリーズは、彼の詩の中でも特に多くの曲が残されているが、今日はその中でポリフォニー・シャンソンを代表する6人の作曲家による作品が演奏される。