ルネッサンス音楽の扉をひらいた作曲家・ギヨーム・デュファイ (1400ころ〜74)。フランドル (今日の北フランスから南ベルギー地域) 生まれのデュファイは、その少年時代を出身地・カンプレの聖歌隊員として活躍するが、むしろイタリアなどの他の地域で活躍する期間の方が長かった。
彼の音楽史上での功績は、従来は別々に作曲されていたミサ曲の5つの章 (キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイ)を、音楽的に関連づけて、いわゆる「循環ミサ曲」を完成させたことである。
ミサ「ス・ラ・ファセ・パル」は、その初期のものでありながら、充実した作品となっている。キリエ以外の冒頭部分は、ソプラノとアルトのまったく同じ冒頭動機で始まり、5つの章がまさに「変奏曲」と同じ手法によっていることがわかる。
それにしても、「もしも顔が青いなら」のミサとはいったい何だろうか。当時は、ミサ曲を作曲する場合には2通りの手法があった。1つは、グレゴリオ聖歌の旋律を借用する場合であり、そのミサ曲は借用した聖歌の曲名を冠して、例えばミサ『アヴェ・レジナ・チェロールム (グレゴリオ聖歌「祝せられよ、天の女王」の旋律によるミサ曲』のように呼ばれた。
もう1つは、当時流行していた世俗曲の旋律を借用する場合であり、そのミサ曲は借りた世俗曲の曲名を冠して、ミサ『もしも顔が青いなら (シャンソン「もしも顔が青いなら」の旋律によるミサ曲』のように呼ばれた。
どうやら、世俗曲の旋律の方が作曲する上では多様な展開が可能であり、作曲者には魅力的であったらしい。これ以外にも、ミサ「さらばわが友」、ミサ「いくさ人」、ミサ「死を待つ」など、曲名だけからすると本来のミサ曲にはふさわしくないようにも思えるが、実はルネッサンス時代の手法だったのである。
ミサ「ス・ラ・ファセ・パル」は、テノールに自らのシャンソンの旋律を配し、それに他のパートを美しく絡ませて優雅な音の世界を築いていく。今から500年も前の音楽とはとても思えない斬新な響きさえする。