船で地球を一周する


     氷川丸乗船

 1955(昭和30)年9月、わたくしはフルブライト研究奨学金をえて、アメリカに留学することになった。当時の日本で学ぶことが不可能であったヨーロッパの古い音楽――中世・ルネサンス期の音楽について研究するためである。横浜港から氷川丸に乗船して十四日、シアトルから大陸横断列車で四日を要しニューヨークに到着して、この地のコロンビア大学とニューヨーク大学でいよいよ本格的な音楽史研究を開始した。二十八歳の晩夏である。

 第二次世界大戦以前の音楽研究の本場はドイツ、オーストリアなどであったが、ナチスの弾圧のために多数のすぐれたユダヤ系音楽学者がアメリカに亡命するようになった。結果的に戦争終結後、この分野でのアメリカの研究水準は急激に向上した。物理学におけるアインシュタインに譬えられる音楽学者のクルト・ザックス教授をはじめ、多数の碩学がニューヨークに居住して、教鞭をとっておられた。日本では考えられない恵まれた環境の中で、わたくしはこれらの学者の直接指導を受けることができた。

 実はドイツかオーストリアかに留学したかったのが本音だが、戦後の荒廃に悩む当時のドイツやオーストリアには外国人学生に奨学金を出す余裕はない。またもし直接ヨーロッパに行って、いきなり膨大な音楽資料の中に放りこまれたとしたら、基礎訓練のないわたくしはただ途方にくれて埋没してしまったに違いない。かえってアメリカに渡って豊富なマイクロフィルム・コレクションを十二分に活用し、原資料の扱い方や古い楽譜の解読法、ラテン語による中世音楽理論書の読み方など、一から十まで手とり足とり指導されたことがはるかに有用であった。しかも現在の病んだアメリカではなく、治安も良好だった1950年代のアメリカに留学したことが結果的にわたくしに大きなプラスとなった。

 また大学の講義の合間に、カーネギー・ホールやメトロポリタン・ハウスなどに日参して、指揮のブルーノ・ワルター、ソプラノのマリア・カラスをはじめ、超一級の音楽家たちの演奏に接したことも大きな収穫であった。フルブライト奨学金は一年間しか受けることが出来ないので、さらに日本協会(ジャパン・ソサエティ)などの奨学金をえて、結局アメリカには三年間滞在することになった。

 1958(昭和33)年四月、ニューヨーク港からクィーン・エリザベス一世号に乗船、五日を要してヨーロッパに渡り、フランス、イタリア、ドイツ、オーストリア、イギリスなどを約四ヶ月ほど歴訪し、各地の図書館で音楽史原資料、――中世・ルネサンス期の古い音楽を当時の記譜法によって手書きで記したオリジナルの楽譜写本――を直接に調査した。これらの原資料はすでにアメリカでマイクロフィルムを通して十分に親しんでおり、その記譜法の解読の仕方もしっかり習得してはいたが、やはり実物をこの手にとって直接ふれる感激はひとしおである。

 また各都市の音楽会場やオペラ劇場をたずね、ヨーロッパ人の音楽に対する姿勢、社会生活の中で音楽のはたす役割などをじかに見聞して、短期間ではあったがヨーロッパから学んだものはきわめて大であった。こうしてヨーロッパ一巡の後に、再度この地をおとずれることを心に誓いつつ、ベルギーのアントワープ港から貨客船で五十四日を要してその年の九月、やっと三年ぶりに横浜港に到着した。

 こうしてみると、わたくしは地球一周をすべて船で果たしたことになる。太平洋も大西洋もインド洋もみな船で渡った。音楽批評家の吉田秀和氏から「さすが中世音楽史学者ですね。もしかしたら帆船ではなかったのですか」と皮肉られたものの、通算ほぼ二ヶ月半を船上ですごした経験は人生にとって決して無駄なことではなかった。