ヨーロッパ音楽との出会い


筆者近影

 ヨーロッパの古い音楽と、わたくしとの出会いは、因縁というのか、運命的というのだろうか、何かそう呼ぶほかはない不思議な糸によって結ばれていたようである。1927(昭和2年)に誕生し、この1997年に古希の年をむかえた今日、これまで果たしてきたヨーロッパの古い音楽--中世やルネサンス期の音楽に関する多数の著書や論文、立教大学をはじめいくつかの大学における音楽史の講義、また長年継続してきたNHK『バロック音楽の楽しみ』や『音楽の泉』などのラジオ番組、さらに、いくつかの合唱団を指揮し指導してきた演奏活動などをふり返ってみて、改めてその不思議な糸の存在を感ぜざるをえない。

 もともとわたくしが最初に出会った音楽は、ヨーロッパ音楽、いわゆる洋楽ではなくて日本の伝統音楽であった。水戸藩士の流れをくむいえに育ったという事情もあって、少年時代から謡曲や仕舞をたしなみとして習っていた。現在でも九番習という、その道ではひとかどの免状の所有者である。とくに中学一年生の頃はじめて拝見した能「巴」の感動が忘れられず、それ以後ひんぱんに能楽堂に通うようになった。そのために初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、桜間弓川といった昭和初期の名人たちの舞台にふれられたことは、今も心に生きている大きな財産である。

 能楽への関心はさらに歌舞伎にもひろがった。今日ではもはや伝説的存在の十五代目市村羽左衛門、七代目松本幸四郎、六代目尾上菊五郎、初代中村吉右衛門という名優たちの舞台を見ることができたのも、中学生の頃から歌舞伎座に出入りしていた故である。とくに羽左衛門の『実盛』『菊畑』『玄冶店』『直侍』など、今でもその伊達姿が鮮烈によみがえってくるほど少年の心にふかい印象を刻みこんだ。

 太平洋戦争直前の時代である。同年輩の少年たちは軍事、スポーツ、自然科学などに熱中して、音楽、美術、演劇に関心をよせる中学生はほとんどいなかった。いつの間にかわたくしは一風も二風も変ったアブノーマルな人間として、同級生から「アブちゃん」というニックネームを奉られてしまった。

 たまにもし音楽に関心をもつ生徒がいたとしてもそれは洋楽への関心であって、日本伝統音楽に熱中していたのはわたくし一人という有様であった。二、三の友人はわたくしに蓄音機でモーツァルトやベートーヴェンの音楽を聞かせて洋楽のすばらしさを力説し、日本音楽から転向するよう説得をはじめた。

 「ベートーヴェンに比べれば、謡曲など未発達な原始音楽にすぎない」

 彼らの言い分によると洋楽にはハーモニー(和声)の体系が確立しており、音階には長調と短調の二種類、拍子は二拍子、三拍子、四拍子などと整然と秩序づけられている。楽器はフルート、ホルン、ビアノ、パイプ・オルガンなど、それぞれ精密機械といってよいほどの複雑かつ精緻な構造をもち、正確で調和のとれた音を奏してシンフォニーやオペラのような大規模な音楽を作り出してゆく。

 日本の音楽にはそんな秩序はない。謡曲など醜悪な蛮声でせまい音域を移り動くだけで、ハーモニーもない。けたたましい騒音を発する横笛や、素朴な打楽器なども楽器と呼ぶにあたいしない。要は「日本音楽など、音楽以前の原始芸能にすぎない」と、そのような論理なのである。

 もちろんわたくしにもモーツァルトやベートーヴェンの素晴しさは、それなりに理解できた。とくにベートーヴェンのシンフォニーの勇壮な訴えは多感な少年の心につよい衝撃をあたえずにおかない。たしかに洋楽も素晴しい。しかし、それだから日本の音楽は原始的と言ってよいのだろうか。洋楽党の言い分は結局、音楽をモーツァルトやベートーヴェン、つまり十八、九世紀のヨーロッパ音楽のあり様に限定して、その論理にかなわぬものはすべて音楽以前と決めつけるのである。

 この議論を戦争前の少年たちの無責任な放言とみなすことは出来ない。こうした見方はわが国の音楽関係者にもしばらく前まで支配的であったし、今なお動かしがたい偏見として残っている。

 ちょうどその頃である。奇跡的といってもよい事がらだが、当時ほとんど手にすることが不可能であったグレゴリオ聖歌(中世に創始されたキリスト教会聖歌)やルネサンス期の作曲家パレストリーナ(1525ごろ〜1594)の宗教合唱曲のレコードを聞くチャンスがあった。今でこそこれらヨーロッパの古い音楽を聞く機会はいくらでもあるが、ヨーロッパ音楽は十八世紀のバッハから始まるとされていた当時に、バッハ以前の音楽にふれたこと自体が奇跡といってよい稀有な事がらだったのである。

 このヨーロッパの古い音楽に聞きいることによって、少年の心に大きな光がさしこんできた。中世のグレゴリオ聖歌やルネサンス期の作品など、ヨーロッパの古楽は、モーツァルトやベートーヴェンの音楽とはかなり異なっており、音階やリズムなどの点ではむしろ日本や中国の音楽に近いところさえある。楽器の伴奏も一切ないし、グレゴリオ聖歌など日本の謡曲と同様にハーモニーもないではないか。

 一口にヨーロッパの音楽といっても、こうした古いヨーロッパ音楽は日本や中国の音楽との間にさして大きな隔たりがあるわけではない。してみればモーツァルトやベートーヴェンの作品だけをヨーロッパ音楽とみなすのは大きな誤りであって、中世やルネサンス期の音楽を知ることによって、はじめてヨーロッパ音楽とは何かという答えが出てくるのではないだろうか。

 もし音楽の論理というものがあるとしたら、それはモーツァルトやベートーヴェンの作品ばかりではなく、中世やルネサンス期の古楽、さらに日本や中国やインド、またアフリカ圏の音楽など、地球上のもろもろの音楽を包括する立場から、もう一度光をあてなくてはならないのではないか。――素朴な考え方だか、そういったいわば比較音楽学的ないし世界音楽学的な考えが、十五、六の少年の心のなかにフツフツと渦まきおこってきた。出来ることならば音楽の研究を一生の仕事としてみたいという願いが、次第次第に高まってきたのである。